2015年5月26日火曜日

親愛なるJちゃんへ

はい、Jちゃん、もう少し投稿がたまったらお知らせしますね。

この土日で福岡の親戚に会いに行ってきたよ。
お姉ちゃんが結婚したので旦那さんを連れてその挨拶へ。総勢25名。ハワイのおばさんが日本に次男をつれてきて、もう日本につれてくるのは最後だからということでみんな集まったみたいです。おばあちゃんに会うのは4、5年ぶりなんだけど他の親戚に会うのは十数年ぶりだから特に話すことがなくてとっても緊張したよ。
こちらの親戚は元々沖縄に住んでいた人々だからみんな濃いモンゴロイド顔なんだけど、沖縄イメージにあるにぎやかな雰囲気ではなくて、じっと目を見つめて相手のイメージを消化している感じを受けた。私はおばあちゃんたちと血が繋がっていないけれど濃い顔とじっと見る感じには親しみがもてると思った。
ハワイのおばさんはクールでひとりだけ違う雰囲気。向かいの席に座っていたのだけれどサングラス越しにじっと見られている感じにたえられなくて一言もしゃべらなかった。次男さんはロン毛で日本語が話せない。ニューメキシコに住んでいるらしい。ニューメキシコはメキシコじゃなくてアメリカなのを今知った、。
すごく奇麗な海沿いにある料亭でなんだか全部現実味がない。




メモ
・お姉ちゃんの旦那さんはよくできた男だった。わたしよりすっかり親戚にとけ込んでいた。
・家に家族が増える変化がとっても面白く感じる。丸くゆるく収まりが良くなったように思う。若干、みんな一歩後ろにさがってうまくいくようになった感じ。今度図にかく。
・お姉ちゃんの親戚挨拶を見ていて、結婚がすごく大変な儀式に思えた。私はこっそり結婚したいな。
・親と行動を共にすると、拘束感というか、されるがままの自分が懐かしくて新鮮に思えた。今は自由に思うがまま暮らしているけれど、一緒に住んでいたときってこうだったなぁとしみじみした。料亭近くの砂浜に落ちていたガラスやタイルが夢のように素敵で、(あまり人が立ち寄らないから誰も拾わない)あと15分だけ拾わせてくれと頼んだけれど、きいてもらえず空港に出発した。「二度と拾えないかもしれないのになんでわかってくれないんだろう!」みたいな悔しさがすごく懐かしくて、「家族」を感じた。
自立するということは、砂浜に落ちているガラスやタイルを好きなだけ拾って帰れる。ということなんだなぁと飛行機で思ったよ。




思ったこと、久しぶりに全部書き留められると思ったけれどキリがないね。